花の文化(ウメ)

花のボランティア

Introduction

こちらは、公開空地花壇と植物園のボランティアvolunteerの、 季節の花を愛で、花に学ぶ、個人サイトです。
よろしかったら文化探求をご一緒に。

ウメ 二月の梅

好文木、君の名はウメ


花の文化園の梅園入口
ちょっとなまめかしいww(これは3月の写真)
梅園内 の梅は、「130品種300本」あるとか。⇒昨年の2月の頁再掲

 ウメ 梅 

学名:Prumus mume Sieb.et Zucc.
英名: Japanese apricot

KORIN-Plum-trees-R静岡県熱海市のMOA MUSEUM OF ART所蔵名品……紅白梅図屏風
MOA 美術館蔵 2004年東京文化財研究所との科学調査により
大きな反響をよんだ尾形光琳筆 国宝「紅白梅図屏風」
(金地の謎)

時代: 江戸時代(18世紀) サイズ: 各 156.0×172.2㎝
素材・技法: 紙本金地著色 二曲一双

尾形光琳 《紅白梅図屏風》
毎年2月に展示しているというが、今サイトで凄い画像をデジタル公開中!
MOA 美術館 https://www.moaart.or.jp/
"光琳が宗達に私淑し、その画蹟に啓発されながら、独自の画風を築き上げたことはよく知られている。
水流を伴う紅梅・白梅の画題や二曲一双の左右隻に画材をおさめる構成.."

梅の文化

岩波新書の「花を旅する」栗田勇著(2001年の刊)などを参照しながら、
一年かけて、花の文化を考える旅をするというテーマです。
やはり万葉集から始めます.

天平二年(730年)
大宰府(大陸との窓口)で大伴旅人が梅の宴を開き、
梅花三十二首」として、招かれた客、山上憶良他
仲間の歌が残されている。
この歌は、 王羲之の「蘭亭序」太宗「除夜」などを踏まえている。

大伴旅人
■吉村誠:万葉集検索(データベース)で検索できます ⇒ http://www.c-able.ne.jp/~y_mura/ 
なお、以下のサイトも楽しめます。 ■たのしい万葉集: 梅を詠んだ歌 (サイト名は「万葉の想い」

万葉集の梅

以下 さらに抜書き(栗田勇著)
日本で一番最初に梅が出てくるのは、
懐風藻(751)の葛野王(かどのおほきみ)の五言詩
といわれている。」
「梅に鶯」がでてくる。
「中国の詩のパターンを追って何とか自分のものにしたいという段階の詩」
奈良の貴族階級に、漢詩などと一緒に8世紀頃、梅は文化として入ってきた
中国文化の輸入期の(中国文化の)象徴
万葉では「桜」というが、歌の数では「梅」は118(首)で萩について多い
⇒万葉集の頃には梅が日本化していた」

紀貫之
このあたりを平凡社世界大百科事典で補足すると、

持統朝屈指の教養人葛野王による、
「春の日、鶯梅(おうばい)を翫(はや)す」、
隋の江総という詩人の「梅花落」のパロディ。
梅に鶯の美学の初登場
日本律令国家体制の最高指導者層の文化意識⇒「みやび」を
先進大国の中国の詩文を模倣を通じて形象化することに
製作動機があった。
梅は律令支配の花、都市貴族の花。(斎藤正二)

格が違う松竹梅

「この時代は花といえば桜ではなく、梅だった

松竹梅……格が違う」
⇒ 「他の花が全く咲いていないときに、しかも葉がないのに、
花がぽっぽっと咲いていくのが実に不思議
古びた幹が時を刻んでなんともいえない自然の姿を見せていく」


梅には「霊性を感じさせるところがある」
⇒天神信仰(古来からの民間信仰)
農作物は自然現象に影響される
天神が荒ぶると疫病や暴風雨がやってくる

天神は雷神や雨、川、蛇と結び付けられて、おそれられていた

「天災地異や疫病流行をもたらす怨霊を鎮めようという怨霊信仰が
天神信仰というはっきりした形をとり、
御祭神として菅原道真を敬い、そのことによって災厄を逃れるという信仰になった」
菅原神社は1万数千社もある。
そのシンボルとしての梅の小枝が日本全国に広まった。
(梅の紋章)

中国文化の再流入
鎌倉末から室町時代(中国の宋から元) 渡唐天神
(天神さんが唐に渡って禅宗のえらいお坊さんに学んで 衣鉢を受けて日本に帰ってきた)
中国の文人風で座っていなくて、手に梅の枝を持った姿で定まる
次第に 天神様の話、飛梅の話がポピュラーになった
謡曲、歌舞伎、工芸、あらゆるところに梅が出るようになった

時代物(歌舞伎)「菅原伝授手習鑑」……江戸時代に大当たり
書道の神として寺子屋で祀る
謡曲「鉢木」


写真は梅の鉢もの@花の文化園

万葉集の梅

以下 さらに抜書き(栗田勇著)
日本で一番最初に梅が出てくるのは、
懐風藻(751)の葛野王(かどのおほきみ)の五言詩
といわれている。」
「梅に鶯」がでてくる。
「中国の詩のパターンを追って何とか自分のものにしたいという段階の詩」
奈良の貴族階級に、漢詩などと一緒に8世紀頃、梅は文化として入ってきた
中国文化の輸入期の(中国文化の)象徴
万葉では「桜」というが、歌の数では「梅」は118(首)で萩について多い
⇒万葉集の頃には梅が日本化していた」

菅原道真

光琳作紋

尾形光琳1658-1716(万冶1-亨保1)
紅白梅図屏風」……
「左は幹と枝が主になっていて全体を描いていない。
右は苔むした幹の根の立ち上がりが見所。
中央に流水文と呼ばれる川の曲水が描かれている。

紅の梅の花はほんの枝先だけに描かれている」

⇒「中国文化とともに入ってきた梅が、
当初都市貴族の文化的シンボルとしてあったところ、
花一輪一輪を味わい、古木の幹を楽しむといった、
日本独自の楽しみ方をされるにいたったということ」
(栗田勇)

光琳梅

光琳梅 by万華鏡さん

能衣装の梅

能衣装の「扇面梅文模様」 ……美しく図案化された梅模様 (豊臣秀吉が長浜城主になったとき、長浜八幡宮に奉納した) 日本独自のものとして評価されているという。(栗田勇)
(この能衣装 文様について検索しましたがよくわかりません。)
あるいは「利休梅」と呼ばれるものであるかどうか(宿題)
(能・狂言の本棚)檜書店

香と余情

「梅の花三輪」ということわざがありますが、
秘すれば花、その香りと余情が梅の命です
(栗田勇)
補遺 大岡信の折々の歌から

ume
2009年は2月17日満開でした@梅園
2012年は開花が遅れて3月2012/umemigoro.html

かっては、花といわれるのは梅のことだったという。

梅の美術作品

太田記念美術館酒井抱一の扇
野村美術館蔵 源氏物語 紅梅図 酒井抱一筆
MET DP238169
Sakai Hōitsu Japan; Handscroll; Paintings Date 1815
(33.9 x 925 cm) Collection Metropolitan Museum of Art

Sakai Hōitsu - Bush Warbler (Uguisu) in a Plum Tree - 2015.500.9.15 - Metropolitan Museum of Art
Artist Sakai Hōitsu (酒井抱一)
Title Bush Warbler (Uguisu) in a Plum Tree
Date between 1800 and 1828
Metropolitan Museum of Art

梅とカササギ

喜鹊登梅

梅にカササギがとまるデザインは『喜び』を表す吉祥モチーフ

中国の文化界では、カササギは非常に人気のある鳥であり、幸運と幸運の象徴であり、梅の花を登るカササギは、中国の絵画でも共通のテーマであり、伝統的な中国の詩や対句によく登場します。さらに、中国の民間伝承によると、すべてのカササギは毎年七夕節に天河に飛んでカササギ橋を建設し、離れ離れになった牛飼いと織女を引き付けてお互いに会います.したがって、中国文化では、カササギ橋はしばしば2人の愛の関係になります.男と女。 カササギは韓国の国鳥であり、国のシンボル です。 カササギは、清王朝の祖先であるアイシンジュエルオ ブクリ ヨンシュンの誕生神話で重要な役割を果たしています 。(zh.wikipedia)

喜上眉梢(カササギ・梅)

「カササギが梅の木にとまっているの図案は“喜上眉梢”(喜びに目を輝かす)を表しています。」
カササギは古くは「神女」(女神)と称され、「喜鳥」と呼ばれています。 枝にとまっていいるところわ見たり、鳴き声を聞いたりすると喜ばしいことが起こる前兆といわれ「喜びを告げる」カササギは、人々に幸福と快楽の笑顔をもたらす生活の象徴となっています。 また、中国では、梅の花の”梅”と眉毛の”眉”は発音が通じています。カササギが梅の木にとまっているの図案は“喜上眉梢”(喜びに目を輝かす)を表しています。https://mercari-shops.com/



装飾的なカササギ梅の鳥の磁器の瓶と蓋の植木鉢
(Size : 40cm x 24cm)


以下過去ページ


名前に「梅」の字を持つ花木はいろいろあります。「黄梅」

「梅」については毎年今頃になるとブログに書いていました。(20210222)

  1. 2019/02/13のブログ
  2. 2018/02/25のブログ

2006年2月

2013年の梅園の和歌散歩

補遺 大岡信の「折々のうた」の菅原道真


桜と梅と杏を花だけで見分ける法

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